2007年5月13日日曜日

vol.26 パーミッションマーケティングと日本人 2000/09/21

最近とみに思うことがある。「日本人にはパーミッションマーケティングは向いていないんじゃないか?」ということである。

我が国でpermit=許可を与えることに慣れているのは、許認可で飯を食っている役人くらいなもので、permitを受ける立場にはあっても与える立場に立ったことがないというのが大方の我が国の国民である。

こういった実情を無視するかのように、ネット上でパーミッションマーケティングがもてはやされている。しかしその実態はトラッキングエンジンによる、生活者の属性に基づいたデータ配信である。

アメリカのコンテンツを見ていると、やたら選択を迫る仕掛けが施されているものが目に着く。選択といってもクリックしてマーキングするだけの手間いらずであるから、permissionを与えたという認識もないのだが、これがいきなりofferに変わるわけだ。

offerというのは、「申し出る」ということで、いわば「言質を取られた状態」になるわけで、「offerに基づいていろいろなものが配信されてもあなたのせいですよ」という正当な言い訳を相手に与えることを意味する。

これが実は大変微妙な点である。膨大な配信データを前にして、「いいよ」とは言ったけど、「そうしてくれ」と言った覚えはない。という深い感慨をいだくことになること請け合いであるからである。

YES,NOだけでコミュニケーションを行う国民と、腹芸でコミュニケーションする国民とのカルチャーギャップというのはいかんともしがたい。

「程度ものってことがあるだろう!」てなことも全く通用しない。YESと言った以上、そのpermissionに基づいて山のようなデータが送られてきたとしても文句は言えないのである。しかも、配信停止するにはWEBのページにアクセスして自分で「禍根を断つ」必要があるのである。ふーっ。(これは結婚と離婚の問題に酷似している、ような、気がする。もしくは「注意1秒怪我一生」という交通標語を彷佛とさせる)

ふと初めてアメリカに行った時、サンドイッチの注文に手間取ったことを思い出した。white or brown?から始まった質問攻めをこなし、「さっさと持ってこいよ」という気持ちを押さえながら、いざ運ばれてきたものを見て愕然としたときの思い・・・・に似ている。

しかし、ネットとはそういう国民の生み出した文化なのである。ということを重々心に留め置いて望まなければならないのだろう、と「以心伝心」の国の国民として思う今日この頃である。

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